「あのー」 「手が止まってますよ」 「デイが、カードゲームしよーって」 「終わったらできますよ」 「えーっと、どー見ても今日中に終わる量とは思えないんだけど…」 「そうかもしれませんねえ」 何を言っても本から目を離さずしれっと答えるクリフトに、アリーナはとうとうきれた。 「ちょっとクリフトっ!数学の計算がこーんなに量多いなんてきーてないわっ」 「あったりまえでしょう」 にっこり微笑んで。 「罰なんですから」 …青筋立ってるし…。 鉛筆構えて恨みがましい目をしてうーっと唸る。 クリフトは読んでいた本をぱたんっと閉じて、ふぅ、と一つため息つくと、滅多に見せない厳しい顔で、アリーナの顔を見た。 「姫様。今日の夕方、あなたがこの町の入り口でしたことを覚えていないわけではないでしょう?」 「………覚えてるわよ」 「だったら、少しは反省してください」 むうっと、まだ納得のいかない表情を見せるアリーナ。 「だって、うっとーしかったんだもの」 その言葉に、ぷちっと、クリフトの顔に立ってる青筋がさらに太くなった。 「だからって、軟派な男たちを蹴り倒してぼっこぼこにする必要は全くないんですっ!あのとき私が来なかったら、もっと騒ぎが広がってしまっていたでしょう!?」 さすがにそのことは自分でも悪いと思っているのだろう、アリーナがうっと言葉に詰まった。 「何とかあの場はまとまったからいいようなものの…」 頭を抱えながら、はあ、と息をはく。 ケガした男たちにホイミをかけ、謝り倒して男たちに帰ってもらうようにしてくれたのはクリフトだった。 もっとも、男たちはクリフトが謝らなくてもアリーナに恐れをなして逃げていたに違いないのだがそれはまあ置いておくとして。 「大体、何でお1人であんなところを歩いてらしたんですか」 「それは…」 もごもご、と言葉を濁す。まさかさすがに「バレンタインデーのお返しになるものを探してた」などと面と向かって言えなかった。 それに、あの騒ぎのせいで、結局何も用意できなかったのだ。 だから、アリーナがいつも以上にわがままになっているのも、言わば八つ当たりのようなものだった。 「姫様」 むくれてそっぽを向いたアリーナに目をやり、トーンを落として名を呼んだ。 そして。 「お願いですから、無茶はなさらないでください」 そういうクリフトの瞳にちらりとかげりが見えて。 …あ…。 本気で心配、してくれてるんだ…。 それがわかったから。 大人しく『罰』とやらを受けよう、と思い直した。 そして。 5分であきた。 (あ゛ーーーーーっっっ!もぉーーーいやっっっっっ!!!) 心の中のアリーナが目の前にある机をがったーんと投げ捨てる。 ダメ、こんなの性に合わない。逃げてやる。逃げてやるっ。今日は絶っっ対ここから逃げてやるーーっっっ すでに数学そっちのけで闘志を燃やし、むん、とクリフトに見えないようにぐっと握りこぶしを作った、のだけど。 「姫様、見えてますよ」 くっ…。 …相変わらず、こーゆーことには敏感なんだから…。 ふう、と息をつく。それが終わるか終わらないうちに、きっとクリフトを睨みつける。 そして、きっぱりと言い放った。 「もーやだ。」 「そーですか」 本から顔すら上げず、あっさりさらりと言ってのけるクリフト。その様子に少し拍子抜けしてしまったのだが、アリーナは負けじと言い返した。 「随分余裕見せてるじゃない。このまんま出てっちゃうからね!」 「どうぞ」 変わらぬその余裕っぷりに思わずむっとなるアリーナ。 そしてものも言わずがたんっと立ち上がると、ずかずかとドアに向かい、がちゃっとドアノブを回す。 がちゃ。…がちゃ?がちゃ、がちゃがちゃっっ 「そうそう、姫様」 ものすごーくわざとらしく、今思い出したという雰囲気で自分の胸ポケットから何かを取り出した。 それは鉄製の鈍く光る鍵。 「言い忘れてましたけど、ここの宿って内側にも鍵穴あるんですよ」 ちゃらん、ちゃらん、と本から目を離さず、指先で鍵を弄ぶ。 かああっとアリーナの頭に血が上った。 「ひっ、ひきょーよっ!」 「何とでもお言いください」 全く動じる様子もない。 くああっ、本気だわ…。 悔しさに震えそうになるのをどうにかこらえる。と同時に一つの名案が浮かび。…アリーナは息を整えた。 「…ふーん、そう…。なら、こっちにも手があるんだから」 「暴力振るったら計算問題増やしますから」 「暴力じゃなわよ」 ふふっと何故か不敵に笑うアリーナ。ゆっくりと近づいてくる気配を感じた。 さすがに不思議に思ったクリフトが顔をあげようとしたとき。 ほっぺたを襲うものすごくやわらかくて、ほんのりと温かい感触。 「っ!!?!!?!」 もちろん。 思考回路完全停止。 やがて、じわりじわり、何となく状況がつかめてきた、気が、する…。 それとともに、顔がじわじわ火照っていって。 「なっ…なななななななななっ…」 頬に手を当て何か言おうとしても言葉にならない。 すでにアリーナは扉の向こう、部屋の外からこちらをのぞいて、まるでいたずらっ子のような表情で手を振っている。ほんの少し顔が赤いように見えるけれど。 そしてその手の中には、もちろん部屋の鍵。 それをクリフトに向かって放り投げると、こんっといういい音がしてクリフトの頭に直撃した。 その様子を見てくすっと笑い、ドアを後ろ手に閉める。 閉まる間際、鮮やかにクリフトに笑いかけながら放った決め台詞。 「バレンタインのお返しってことに、しといてあげるわね!」 「!?」 どきん、と飛び上がる心臓。 思わず見とれてしまうほどのあでやかな笑顔が、しっかりと脳裏に焼きついてしまったのを感じた。 そんなクリフトをよそに、アリーナは扉を閉めるとぱたぱたぱたっと駆けて行く。足音のみがその様子を伝える。 クリフトは、真っ赤な顔で頬に手を当てて口をぽかんと開けたまま見送るしかなかった。 その状態で放心した数分の後。 はっと正気に戻って。 「に…逃げられた…」 そう呟き、がっくりと脱力した。 その後は己の未熟さ加減に自己嫌悪に陥りながら机に突っ伏し、ひたすら神に懺悔し続けることとなるのだった…。 P.S. 完全復活までには数時間要したらしいです。 おしまい。
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