突然ですが。今日はバレンタインデー。 アリーナもバレンタインデーぐらいは知っていた。 (ええっと確か、女の人が好きな人にチョコを渡すんだったよね) ふと。 自然と心に浮かぶ神官の笑顔。 ぶんぶんぶんっ 心の中のアリーナが、赤くなりながら違う違う違う違うっと首を振った。 (もうっ、こんなときに何考えてんのっ!) 今は世界を救う旅の途中なのに。 それに… クリフトが喜ぶかわからないし。 困った顔は見たくない。 そういうわけであっさりと。 アリーナはバレンタインデーの存在を記憶の彼方に消し去った。 * * * その日の昼過ぎ、一行は町を見つけ、そこに宿をとることに決めた。 ちょっと早めの夕食後― 「姫様。今日もやりますよ」 「ええ〜」 分厚い本を持ってにっこり微笑む神官の言葉に、アリーナはあからさまに嫌そうな顔をした。 毎回毎回同じリアクションをしますね、と苦笑しながらその間にもすでにしっかりと準備を始めている。 もちろん。アリーナの大嫌いな勉強の。 宿屋に泊まれてさらに時間に余裕がある日の夜、クリフトとブライがアリーナに講義を行うのはもう仲間たちにとっても日常だ。 はあ〜、とため息をつくアリーナの肩を、 「頑張れ、お姫様☆」 「いつか必ず役に立つものですから」 「ファイト〜」 からかい混じりの励ましの言葉をかけながら女性陣がぽん、と叩く。 そんなデイたちに恨みがましい目を向けながら。 「あーあ、これだから王女なんてやってられないのよ」 出てきたこの呟きは、恐らく姫君の正真正銘本心からのものだったに違いない。 本日は、歴史をみっちり1時間半。 「疲れた〜…」 こんな生活、拷問に近いわ。 そんなことを考えながら、んーっと椅子に座ったまま背伸びした。 「お疲れ様です」 本日の講師・クリフトがはい、とホットミルクを差し出した。 「ありがと」 あったかいうちに飲んでくださいね、という言葉に、ん、と頷いて受け取った。 今日の講義場所は食堂。仲間たちはもう部屋に戻っている。 講師その2・ブライも早めの就寝。 今は2人きり。 (あー…そっか、今日はバレンタインだったっけ) すっかり飛んでいってたことが、2人きりということに反応して戻ってきた。 そっか、どうせ勉強教えてもらうんだったなら、そのお礼としてチョコ渡すこともできたな…。 なーんてことを、ホットミルクを飲みながら考えていると。 「はい、姫様」 とん、と目の前に置かれた可愛い袋。 透明な袋で中身が見えるようになっている。口は赤いリボンで閉じてあって。 袋の中身は。 (えええっ!!?ちょ、チョコレート!!??) そう。それはどこから見ても小さなチョコレートの詰め合わせ。 まさに不意打ち。 え、なに、あたし男だっけ!? ってちがうちがう、そんなわけないし え、もしかして、気づかれてる!? そんなことないよね?隠してたはずだもん それともクリフト、チョコほしかったとか!? 今日もらえなかったからっていうあてつけ!!?? えーっ、なにーっ、なにーっ!!? 大混乱。 勉強しているときの10倍は速い頭の回転で、ひたすらひたすらこのチョコの存在理由を分析してみたりして。 でも、答えはくれた本人から与えられた。 「本日の勉強のご褒美です」 いつの間にかアリーナの正面の席に座ってにっこり微笑むクリフト。 ご褒美。 あ、そっか、うん、そりゃそーよね。そーなんだけど… …。 チョコの袋を手に取って、クリフトの顔をそーっと見る。 いつもの笑顔。 朝ミルクティーを入れてくれたり、さっきホットミルクを差し出してくれたときと変わらない笑顔。 裏なんてない、本当の笑顔。 じゃあ…ホントにただのご褒美なのかな…。 でもどうしよう。チョコ買ってるからバレンタインのこともちろん知ってるだろうし…。 あたし渡すものないのに…。 なんて思ってると。 「今日は特に色々迷ったんですよ。どれも美味しそうで、どれを姫様が好まれるかと考えて目移りしてしまって」 …ん? 「思わず、何件も店を回ってしまいました。どこもたくさん美味しそうなお菓子が置いてあって」 あれ?ひょっとして…? 「それにしても、最近のお菓子はおしゃれですね。どれも綺麗にラッピングしてあるし」 (!!っ…) これはきっと、どうかんがえても。 ひとつの結論に行き当たった。 クリフトってば、気づいてないんだ!! そうだったんだ。絶対そうだ。おそらく彼は気づいていない。 今日が、バレンタインデーだということに。 アリーナが喜びそうなお菓子を一生懸命選ぶのに夢中で。 お店の内装や客層に気づかないほどに。 「…」 顔が熱を持つのがわかった。 表情がこわばる。 アリーナはうつむいた。うつむいて。じーっとじーっと下を見て。 「…っくっ…」 我慢できず、吹き出した。 肩がふるふる震える。 こらえてもこらえてもこみ上げてきてもれてしまう笑い。 (なんだ、そっか、そーだったんだ) 焦った自分がおかしかった。 変な勘ぐりを入れた自分がたまらなく笑えた。 それ以上に、クリフトのことが、可愛く思えて。 笑いが止まらない。 「ご、ごめんね。わ、笑うつもり、ないんだ、けど」 くくくっ クリフトは困惑した。 なぜアリーナが笑っているかわからない。 とりあえず、今わかっているのは。 姫君の発作がおさまるのには、もう少しだけ時間がかかりそうだということだけだった。 ・ ・ ・ 「はー。ごめん。あー涙出てきた」 目尻にうっすらたまる笑い涙をぬぐう。 一通り笑ってやっと落ち着いた。 もちろん、笑いが終息に向かうアリーナと対照的に、クリフトの顔にあからさまな不審の念が広がっていたのは気づいていた。 「あはは…。えっとね、クリフトが可愛いお菓子選んでるとこ想像しちゃって…」 そう理由を告げた。 それは本当のことだ。ただし、それが全てではないけど。 でもその答えにクリフトはかああっと顔を赤らめた。 「ひ、姫様が好まれますのは可愛いものですからね」 ちょっと必死に言っているその表情こそが。 可愛くて。 アリーナはたまらず、また、あははと笑った。 本当に彼にはいっつも驚かされる。 他の人にはそんなことないのに。こんなに焦ることないのに。 思いがけずにもらってしまった好きな人からのバレンタインチョコ。 こんなバレンタインもアリよね。 胸に満ちていくあったかいものを感じながら。 いっしょに食べよーね、と、微笑んだ。 * * * ところで。 勤勉な神官は、姫の勉強予定を立てるため、その日みんなが寝静まった後も作業を続けていた。 多少考え事をしながら。 贈り物を喜んでいただけたことは嬉しい。今思い出しても心が浮き立つ。でも… (姫様はああ仰っていたけど…。一体何をあんなに笑っておられたのだろう…) 一応理由は教えてもらったけど、なーんかそれだけじゃないような…? …まあ、いいか。仕事仕事。 (ええと、今日はここまで進んで…。次お教えできるのはいつ頃かな…) 本をぱらぱら、そしてカレンダーを見。 硬直。 たっぷり30秒使って事実を脳細胞の隅々まで行き渡らせ、そしてたっぷり30秒その事実を考察して… 「あーーーーーーっっっっ!!?!?!??」 その日の夜更け。 神官が、大音量で叫ぶと同時にやおら起き上がった老魔法使いに「やかましいっ」と蹴り倒され瞬殺させられていたことなど露ほども知らず。 アリーナは幸せな顔をして、健やかな寝息を立てていた。
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