「ええっと…ああそっか、じゃあこっちは…」 ぶつぶつと本を読みながら歩く少年クリフト。 布の服をまとっている。 藍色の瞳が難問に挑むべく、ページの上でせわしなく動く。 そのとき、クリフトには見えなかったが、足首ほどの高さに細い紐がぴんと張られた。 「っうわあっっ!!」 どてん、と、不意に足を引っ掛けられて無様に転んでしまう。 「…いたた…」 起き上がろうとする少年に、急に影がおりた。 目をやると、亜麻色のくせのある髪を肩まで下ろし、仕立てのよいローブを身に着けた幼い少女が、顔にふくれっ面を貼り付けて髪の毛とおそろいの亜麻色の瞳で少年を見下ろしていた。 そして。 「クリフトなんか、だーーーいっきらいっっ!!! べーーーーっっっ!!!」 思いっきりあかんべえをして、あっという間に走り去っていった。 一方…。 クリフトはショックで立ち上がることも忘れたまま、呆然と少女の名を呟いた。 「アリーナさまぁ…」 * * * (…いったいぼくのどこがきらいなんだろう。いったい…) その疑問を頭の中にリフレインさせながら、クリフトは肩に薬草の大量に入った袋を引っ掛けててこてこと町へ続く道を行く。 サランまでの道は9歳の子供にはちょっと遠く感じる距離かもしれないが、日帰りで十分往復できる距離だ。 育ての親である神父にお使いを頼まれて、サランの町まで薬草を運んでいるのだ。 しかし、肩にかかる荷物も思いが、それ以上に心が重い…。 アリーナがクリフトにイタズラを仕掛けだすようになったのは、10日ほど前からのことだった。 クリフトがサントハイムの神父に引き取られアリーナと出会って以来、アリーナはクリフトになついていたし、クリフトもこの元気な王女を妹のように大事に思っていた。 なのに、急にぼくにいじわるばっかりするようになった…。 その日を境に、アリーナの態度は急変した。 まず、口を利いてくれなくなった。 話しかけても振り向いてもくれなくなった。 そして、まもなくイタズラが始まる。 この前は教会の扉を開けたら上からバケツが降ってきた。 その次の日には、ベッドのかけ布団の下に大きなカエルが入れられていた。 また別の日には、廊下を歩いているときにいきなり後ろから蹴り倒された。 そして昨日、とうとうアリーナはクリフトに「大嫌い」と叫んだ。 その言葉が、未だにクリフトの心臓にざっくりと突き刺さっているのだった。 「…アリーナさま、ほんとにぼくのこときらいになっちゃったのかな…」 だとしたら… 寂しすぎる。 だって、ぼくは…。 むやむやと膨らむ暗い気持ちで目が回る…。 と、その時。 道の脇の茂みの中にしゃがむ見慣れた亜麻色を見つけた。 何だか隠れているように見える。 (…? ア、アリーナさま!?) そう認識した瞬間、クリフトはそちらに向かってダッシュした。 「アリーナさま!!」 「!!」 すぐ手が届く距離で声をかけると、アリーナが目を丸くしてクリフトを見た。 まさか見つかるとは思ってなかったのだろう、慌てて逃げ出そうとするアリーナ。 その腕を夢中で捕まえ引っ張る。 「クリフト!やだー!はなせーっ!!」 「姫さまっ!お願いだからおとなしくしてよ!」 取っ組み合いが始まった。 埃だらけになりながら、それでもアリーナは足をばたつかせて抵抗を試みる。クリフトもあちこち蹴られて痣を作るが、頑として手を離さない。 そして数分後、クリフトの押さえつけでアリーナは身動きが取れなくなった。 負けたことを察した王女は、悔しさで大きな瞳に大粒の涙を浮かべて、うーっと唸っている。 乱れる息を整えながら、クリフトは、ぐっとアリーナをにらみつけた。 「何で、ぼくのじゃまばっかするのさっ」 「…」 アリーナは答えない。クリフトを強い視線で見返すばかり。 「ねえ教えてよアリーナさまっ!」 「…っ」 きっとクリフトをにらむ。 と、大きな瞳がみるみる歪んだ。 「………だって、だってクリフト、ぜんぜんあそんでくれないんだもんーーっっ!!!」 「!!」 最後はほとんど泣き声交じりの叫びになったアリーナの言葉に、クリフトは大きく目を見開いた。 クリフトには覚えがあった。 20日ほど前。神父に成績のよさを褒められて、神官になる日もそう遠くないねと言われた。 その言葉にクリフトは今まで以上にやる気を出し、更なる勉強に励んだ。 アリーナと遊ぶ時間も当然減らして…。 クリフトの手はすでにアリーナから離れている。 アリーナは逃げもせず、ただただ泣きじゃくるばかりだ。 そっと、アリーナの頬をクリフトの手のひらが包んだ。 ひっくひっくとすすり上げながらクリフトを見返すアリーナに、クリフトは優しく語りかけた。 「あのねアリーナさま。ぼくね、今いっしょうけんめい勉強してるんだ。そしてね、ぼくが今勉強してるのは、アリーナさまのためなんだよ。今勉強しなきゃ、アリーナさまとずっといっしょにいれないんだ」 「そう…なの?」 うん、と頷く。 「ぼくね、アリーナさまとずっといっしょにいたいから、だからがんばってるんだ」 すすり上げるのもいつしか止まり、アリーナはきょとんとしてクリフトを見ている。 (わ、わかってくれた、かな…?) ちょっと不安になるクリフトだったが。 アリーナが唐突に口を開いた。 「クリフト、いたい?」 「え?」 「クリフト、あたしといっしょにいたいの?」 「もちろんだよっ」 必死に真意を伝えるクリフト。 アリーナはそれを見て、じっと考え込み、直後うんうんと頷き出した。 「…そっか。…そっかそっか。ならいーや!」 ぴょこん、と立ち上がり、ぱふんぱふんとスカートについた泥を落とす。 ぽかんとするクリフトの目の前で、くるんと一回転し、ぴっ、と後ろで手を組み、照れたような笑顔を浮かべる。 「クリフトがあたしをきらいになったんじゃなかったら、いーや」 その一言で、クリフトは理解した。 …なんだ。 …アリーナさまも、不安だったんだ…。 クリフトも衣服をはたきながら立ち上がる。 そして薬草を背負いなおして、アリーナに向かって、おずおずと口を開く。 「あの…いっしょに、おつかい、いく?」 アリーナが満面の笑みで返したのは言うまでもない。 * * * あれから長い時が経ち…。 「クリフトなんて、嫌いよ」 2人きりで穏やかな時を過ごせる今でも、アリーナの口からはこの言葉が時々出る。 理由は、幼い頃と同じ。 クリフトにとっては何度聞いても攻撃呪文並の破壊力を持つ言葉。 理由は、やっぱり幼い頃と同じ。 そんなところは、全然変わっていない。 アリーナも、そしてクリフトも。 だけど今日のクリフトには、秘策があった。 「姫様…」 そっぽを向いたままのアリーナの名を呼び、自分の唇をアリーナの耳元に寄せ、にそっと何かを囁く。 「…!!」 瞬間、かああっとアリーナの顔が耳まで真っ赤になったかと思うと、そばの椅子の上のクッションをつかんでクリフトめがけてばふんっと投げつけた。 「もうっ、クリフトなんて、大っ嫌いーっ!!」 一本取った密かな喜びとアリーナへの愛しさが心に満ち、思わずクリフトの顔がほころぶ。 クリフトはアリーナを引き寄せ、思いっきり抱きしめた。
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